攻める

「人生攻めてるよね」と久しぶりに会った友人に言われました。
無自覚でしたが振り返ってみれば、「そうかも」と答えるような状況です。

どうしたい?

興味さえあれば新しいことを始めるのは、苦ではありません。
うまくいかなければ「はい、次」と切り替えます。
うまくいかないことを早く知ることができてよかった、くらいのノリです。
若いころと違って、残されている時間はそんなに長くないと自覚しています。
迷っているなら、まず一歩踏み出してやってみる、という考え方です。

資格の勉強をして不合格であっても、成績がふるわなくても「勉強した内容を知ることができてよかった」と思います。
まだやりたければ再挑戦。もうやりたくなかったら「はい、次」です。
フットワークが軽いとか、感覚的すぎとか、何も考えていない、何がやりたいわけ?と言われるかもしれないけれど、
残された時間のことを考えると、元気に身体が動いて、(これでもまだ)思考がはっきりしているうちに、
興味のあることはやってみたいし、行ってみたい場所には行きたい、会いたい人には会いたい。
(ちなみに余命宣告を受けているような病気ではありません、元気です。)

50歳を過ぎた時

50歳を過ぎたときに初めて、自分の残りの人生はもうそんなに長くないんだなと強烈に感じました。
人生100年時代、なんて簡単にいうけれど、健康寿命は70代半ばくらいまでだという統計をどこかで見ました。
70代半ば以降、実際に健康を患って、あるいは不安を持って生きなければならないのであれば、
それまであと20年ほどしか残っていない計算になります。

これに気づいてから、これまで先延ばしにしてきたようなことは、思ったときに調べる、
すぐにはできなくても行動に結びつける、と切りかえました。

子育てもほぼ終了、見守り体制に入って、家族の形も大きく変わり、自分のために使える時間が増えました。これはほんとにうれしい。
これまでは家族という形を保つために自分を後回しにしてきたことも多かったけれど、今は自由に動ける環境があります。

家族のためではなく「自分のためにお金を使いたい」という欲もあります(汗)

こころの健康、からだの健康

仕事をしたいと思ったときにできなかった過去があるので、今できることを感謝してやる、という姿勢です。
自分で稼ぐ、お金を回すって、いいなと思います。生きていくってそういうことなんじゃないかな。

健康にかけている費用は少なくありません。若いころとはここが大きく異なります。
でもいいんです。
健康も含めて、試してみたいことはやってみたいし、身体によいとされること、もの、場所など、興味があれば足を突っ込んで
勉強もしたい。

現代社会の中で、心も身体も健康に保つことの難しさは、多くの人が感じているところかもしれせん。
情報量の多さに溺れそうになりながら、指先ワンクリックで欲しいものが手に入る便利な世の中です。
でも本当に手に入れたいもの、本物はなかなか手に入らないのが現実。健康もその一つ。

頭も身体も使い尽くして、やれることはやって、次の世界へすーっと行くのが理想です(^^)
せっかく頂いた身体と心なので、メンテナンスしながら大事に使って、使い尽くして、使い倒したいと思います。